函館・道南で高断熱高気密の家づくりを支える職人を紹介するシリーズ。今回は、漁師から大工へと転身した丹波尚大です。

ホタテの養殖から、大工の道へ
大工になったのは、30歳のときでした。
八雲町で漁師をしている親のもとで、高校を出てからずっと、ホタテの養殖をやってきました。海の仕事に不満があったわけではありません。ただ、あるきっかけで漁師をやめることになり、この先どうしようかと考えていたんです。
そんなとき、漁師仲間の中に、山野内建設に入った人がいました。
実は、大工という仕事には昔から興味がありました。でも、「もうこの年だし、知識も道具もない。今からは無理だろう」とあきらめていたんです。ところがその仲間から、**「一からでも大丈夫。ちゃんとできるようになるよ」**と聞いて、気持ちが動きました。2年前、思い切って入社を決めました。
「社員雇用」だったから、踏み出せた
正直、大工には「日雇い」のイメージがあって、生活が不安定になるのではないかと心配していました。
私はすでに結婚していて、子どももいます。家族を支える立場で、収入が不安定になるのは避けたい。山野内建設が社員雇用だったことは、入社を決める大きな理由になりました。
この安定した仕組みがなかったら、おそらく飛び込めなかったと思います。未経験からの転職を、家族を持つ身で決断できたのは、この環境があったからです。
まずは、基本から一つずつ
入社した当初は、先輩の棟梁のもとで、ボードや床を貼ったり、材料を切ったりすることから始めました。
こうした作業は、どの現場でもやることは同じです。一度覚えてしまえば、新人でもできることは意外とたくさんあります。
とはいえ、教えてもらわないとできないことも、まだまだたくさんあります。周りからは「間違っても直せるから、自分でやってみろ」とよく言われるのですが、細かい作業を一人でやるのは、正直まだ勇気がいります。
断熱・気密の施工も、入社した当初から教わっています。 山野内建設の家づくりの核になる部分なので、これはしっかり自分のものにしていきたいと思っています。
現場では、周りへの気配りも
現場では、近隣の方から苦情が来ないよう、車の出し入れやごみの扱いに気を付けながら作業しています。冬は、現場の雪かきも自分たちで行います。
安全対策も大切です。丸鋸の取り扱い方の研修に行かせてもらうなど、会社がしっかり学ぶ機会をつくってくれます。
人間関係がいいから、続けられる
実際に大工になってみると、思っていた以上に仕事は大変でした。
それでも続けられそうだと感じているのは、社内の人間関係がとてもいいからです。 社長も「失敗してもいいから、やってみろ」と、何でも挑戦させてくれます。この雰囲気が、未経験の自分にはありがたい。
今はまだ、覚えることで精いっぱいです。でも、当面の目標は「すべての作業を一人でできるようになること」。そこにたどり着いたとき、きっとこの仕事の本当の面白さが分かるんだろうな、と思っています。
その日を目指して、一つずつ、確実に力をつけていきます。